同窓会だより

石田博さん(昭和48年機械科卒業)・近藤晴彦さん(昭和48年電気科卒業)

石田博さん(昭和48年機械科卒業)・近藤晴彦さん(昭和48年電気科卒業)

10年不倒の高校日本記録

 今からおよそ53年前、昭和46年9月の愛知県大会でのことです。陸上競技の円盤投げで54m42㎝の高校新記録を出した名電生がいました。その選手の記録は、当時の高校記録を2m以上も更新し、その後10年間破られることがありませんでした。新記録を出した石田さん、マネジャーだった近藤さんに当時の話を聞かせていただきました。

広報委員会(以下、広報):石田さんは陸上部で、活躍されたとお聞きしました。

高校3年生の時に円盤投げの高校生新記録を更新した石田さん

高校3年生の時に円盤投げの高校生新記録を更新した石田さん

石田さん(以下、石田):元々、足が速くてね。小学校からずっとリレーの選手で、自然と陸上部に入部しました。


広報:それで、円盤投げもやるように?


石田:円盤投げに限らず、投げる競技は一通りやったよ。槍投げ、ハンマー投げ、砲丸投げとかね。当時の顧問の先生に何でもかんでもやらされたよ(笑)。100mも走って、リレーだってアンカーをやってたよ。円盤なんて、今まで投げたことが無かったから、最初は全く飛ばなくてね。


広報:それが、高校記録を出すまでになったのは、すごいですよね。


石田:どうだろうね。実は、練習で肩を壊してしまって、上から投げる競技ができなくなってね。じゃあ、横からなら投げられるかなって、そんな感じで練習をはじめたんだよね。詳しいことは、近藤のほうが知ってるんじゃないかな。

マネージャーを務めていた近藤さん

マネージャーを務めていた近藤さん


近藤さん(以下、近藤):彼は、陸上競技なら何でもやれちゃうんですよ。そして、記録もどんどん伸びるもんだから、もうワクワクしてね。


広報:近藤さんも一緒に選手として活動されたんですか。


近藤:僕自身は、2年の2学期に体を壊してしまってね。当時の顧問から、マネジャーやれって言われて。それで彼専用に種目別の練習メニューを毎日組み立てていました。


石田:あの頃の監督は若くてね。やる気があり過ぎて、厳しかったよ。すぐ、10㎞走れとか、100㎏のバーベル挙げろとか、無茶ばっかりでね。

高校2年時の近藤さん(左)、石田さん(右)長野県松本市の大会にて撮影

高校2年時の近藤さん(左)、石田さん(右)長野県松本市の大会にて撮影

近藤:でも、すぐにこなしちゃうんですよ、彼は。とにかくスポーツ万能で。100m走っても優勝しちゃうしね。


広報:超高校級ですね。


近藤:そうそう。試合では他校の生徒がみんな驚いてね「あいつ、一人で何種目やるんだ」って。顧問の先生は「石田は九州男児で、体も強いし、根性もあるから、まだまだ記録は伸びるぞ」とよく言ってました。


広報:円盤投げで高校新記録を出した時のことを聞かせてください。


石田:3年生の愛知県大会の時だね。練習の時からずっと調子が良くて、60m近く飛ばしてたんだ。だから、試合でも記録が出るんじゃないかなってね。


近藤:当時の瑞穂競技場のサブトラックは狭くてね。彼が円盤を投げると、他の選手に当たりそうになるもんだから「どいてくれ」と他の競技をストップしてもらってね。


石田:それで、投げたんだわ。


広報:日本新記録が出て、会場は大いに盛り上がりましたね?


近藤:それが、そうでもなかった(笑)。でも、新聞記者が走ってきて「石田君が日本新記録を出した!」と言うもんだから「えっ」と、もう嬉しくてね。


石田:学校でも表彰があったと思うけど、あんまり覚えてないね(笑)。メダルや記念品、賞状も家の建て替えでどこかにやっちゃったよ。


広報:卒業後、競技は続けられたのですか。


石田:中京大学に進学して、大会に出て優勝したりもしたけど、就職と共にスポーツは卒業したね。車関連の仕事で、図面を見て、部品の金型をつくったりしてたけど、もうすっかり引退したよ。


近藤:僕は、スポーツ用品店を営んでます。スポーツにはずっと縁があると感じますね。

近藤さんが名古屋市緑区で営むスポーツ用品店「ホワイト」

近藤さんが名古屋市緑区で営むスポーツ用品店「ホワイト」


2024年現在、石田さんの高校記録は歴代17位となっています。貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。(文責:広報委員会 2024/2/29)

石田さんのインカレ(全日本学生選手権)記念品のネクタイピン

石田さんのインカレ(全日本学生選手権)記念品のネクタイピン