柴田章吾さん(平成20年普通科スポーツコース卒業)

【柴田章吾さんプロフィール】
略歴:愛工大名電高―明治大―読売ジャイアンツ(選手―球団職員)―アクセンチュア―No border創業
明治大学文学部卒業。難病ベーチェット病初の元プロ野球選手、現起業家。日テレ系列の「24時間テレビ」や、「衝撃のアノ人に会ってみた」にて、難病を克服して甲子園に出場しプロ野球選手となり、外資系コンサル・アクセンチュアへの異例の転身について取り上げられた。現在は、No border株式会社を創業し、代表取締役を務める。一般社団法人海外野球振興協会NB.ACADEMY代表理事。現在はシンガポール在住。
思い続ける限り、夢は終わらない
野球ができない病との闘い
私は、野球部の特待生として名電高校に入学しましたが、ベーチェット病という難病で、医師から運動をすることを禁止されていました。高校1年生の時には体育の授業も受けられませんでした。
当時、一番苦しかったのは、野球部のみんなと一緒に同じ練習ができなかったことです。何度もくじけそうになりましたが、倉野監督はじめ、野球部のみんな、関係者のみなさまの支えで、病気と付き合いながら野球を続けてきました。いつしか「一流のプロ野球選手になる」という目標は、仲間と一緒に「甲子園に出ること」に変わりました。最後の夏は、みんなで笑っている姿を想像し、チームの一人ひとりがレベルアップできれば、夢は叶えられると信じて練習に取り組みました。そんな高校生活でしたので、県大会の決勝で投げ、甲子園に出場できた時は、本当に嬉しかったですね。その後、明治大学、読売巨人軍(育成)で野球を続け、引退後は巨人軍のアカデミーコーチを経験しました。

高3夏の甲子園のマウンドで
プロ野球から異例の転身
2016年、アクセンチュアへ転職しました。入社試験では、この会社で自分を鍛え、メジャーリーグの経営に携われるようなキャリアを歩みたいと面接で話したら「その挑戦を応援する」と内定を貰いました。在籍した3年半は、約10社の業務改革・IT変革を経験し仕事に没頭する日々でした。その中で、野球がまだ浸透していないアジアで何かできないかと考えるようになり、フィリピンでの起業を意識するようになりました。
フィリピンとのご縁は、以前ホームステイで、野球少年に野球を教える代わりに英語を教えてもらうという経験がきっかけです。現地で子供たちに野球を教えるコミュニティが出来上がってきていた時に、フィリピンの方々から「アカデミーを作らないか」という提案をいただき、起業を決意。2019年10月に、会社を設立しました。
プロ野球から異例の転身
野球が盛んでないアジア各国に、どうすれば野球熱を生み出せるか。「『甲子園』という日本の伝統的な野球文化を輸出して、そのアジア版ができたら…」みんなが目指すゴールとなる国際大会を実現したいと強く思い、動き始めました。この壮大な取り組みは、野球関係者だけではなく、様々な有識者の方々に設立メンバーとして関わっていただき、プロジェクトをスタートさせました。2024年12月、やっと第1回大会の開催にこぎつけました。

アジア甲子園を開催
2024年12月17日~21日の5日間、インドネシア国内の州対抗戦として、8チームが参加、全16試合が行われました。歴史と伝統あるゲロラ・ブン・カルノ・スタジアムで行われた本大会は、ジャカルタ市民を中心に2,000名以上が試合を観戦。14歳から18歳までの選手が7イニング制(または2時間打ち切り)で行われました。試合の合間には、選手同士や指導者間での交流イベントや、現地の子供たちを対象に野球教室も開催、多くの笑顔と友情が生まれました。なお、大会最終日には、インドネシアU18代表チームと元甲子園球児日本代表チームが対戦するエキシビションマッチを開催。大会の注目を集める一戦となりました。また、選手、指導者、スポンサー企業、ボランティアスタッフなど大会関係者約600名参加のアフターパーティーも開かれ、今後の野球振興活動など、交流の輪が広がりました。
今回の初開催では、30社以上のスポンサー企業や地域コミュニティの協力の他、特に、現地ボランティアスタッフの尽力が大会成功の鍵となりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。第2回大会は、今年の12月に開催予定です。応援の程よろしくお願いいたします。
【文責 広報委員会】


異文化交流を深め、野球を通じて新たなコミュニティの形成が成果となりました
第一回アジア甲子園
https://event.nbacademy.jp/asiakoshien
一般社団法人 NB.ACADEMY
https://nbacademy.jp/
No border株式会社
https://noborder.group/