同窓会だより

【座談会】イチローさんの思い出を語る

【座談会】イチローさんの思い出を語る

 邦人初となるイチローさんの日米野球殿堂入りを受けて、令和7年11月に後藤淳記念球場(春日井市総合運動場内)で座談会を開催。レジェンドの当時を知る方々に思い出を語っていただきました。

 

 

広報委員会(以下、広報):皆さん、よろしくお願いいたします。当時の思い出を聞かせてください。

水野恭佑さん(昭和41年電気科卒業) 中学生だったイチローさんの才能を見出し、入学に尽力。今でも家族ぐるみの付き合い。

 

水野恭佑さん(以下、水野)鈴木一朗を名電に紹介したのは、私なんですよ。当時の私は、野球の上手な中学生を名電に連れてきていました。中村監督に「いい選手がいたら教えて」と言われて、スカウトではなく、ボランティアです(笑)。

広報:どこで出会ったのですか。

水野:山﨑武司(昭和61年卒業)が中日に入団して、1月に沖縄キャンプへ行くため、空港へ車で送った帰りです。原っぱみたいな球場で中学生がキャッチボールをしていました。

広報:その中にイチローさんがいたんですね。

水野:そう。体は細いのに遠投では真っすぐの鋭いボールを投げる子がいた。気になって後日に練習試合を見に行くと、三番で投手。とても速い球を投げて、しかも球場の外にある家へ飛び込む本塁打を打った。それから何回か見に行くうち、よく会う人に話しかけたら、イチローの親父さんでした。

広報:偶然の出会いが重なりましたね。

水野:それで、中村監督と親交があることを伝えました。親父さんは「名電など無理です」と言いましたが、私は名電のコーチを連れてきて見てもらったり、監督にも話をしました。

広報:それで入学することになったのですね。

水野:とんでもない。監督は「そんないい選手が県内におるわけない」と信じてもらえなかった。私も意地になって、絶対に名電へ連れてくると断言(笑)。そしたらイチローのチームが中学校の全国大会に出場、全国的に注目を集めた。当然、強豪校からも声がかかるようになりました。

広報:焦りましたね。

水野:その頃イチローは「プロに行きたい」という気持ちを持っていました。当時、名電からプロ野球選手が何人か誕生していたので、私は監督に電話しました。そしたら「うちに来ればプロに行けると言ってくれ」と言われて、親父さんに伝えました。それで夏休み中に親父さんがイチローを連れて名電に見学に来たんです。監督は体の線が細いと少し気にしていましたが、なんとか説得して名電に決まった。成績も音楽以外はオール5で、勉強特待で入学。そんな子は名電始まって以来ですよ。

 

畑憲作さん(平成4年普通科卒業)捕手として1年生からイチローさんの投手時代の球を受け続けた「女房役」。

 

広報:畑さんと安藤さんは同学年ですね。

畑憲作さん(以下、畑):私は捕手で、安藤は投手でした。

安藤祐嗣さん(以下、安藤):とにかく、ずば抜けて野球が上手かったですね。

畑:全体練習が終わると、体を強くするためウエイトトレーニングをよくやってました。当時からプロ志望でしたが、自主練習は全然していなかったですね。

安藤祐嗣さん(平成4年普通科卒業)同じ投手として共に戦ったイチローさんとの親交は今も続く。

 

安藤:がむしゃらにやっていたイメージは全く無かったですよ。本人は今でも「俺が一生懸命に練習やってたことなかったよね」ってよく言ってますね。

杉浦克敏さん(以下、杉浦):練習嫌いだったんですか。

杉浦克敏さん(昭和52年普通科卒業)名電高校野球部OB・OG会会長。今回の座談会開催に尽力。

 

水野:いや、陰でものすごく練習していたよ。出会った頃に手を見たら、真っ赤で豆だらけだった。「すごい努力しとるな」と言ったら「僕やってません」と謙遜していたけどな。

安藤:じゃあ、チームみんな騙されてたね(笑)。

水野:夜中にバットを振っとったよ。人一倍やらなきゃ、あんなにならんよ。

畑:高校時代の通算打率は5割以上、最後の夏の大会は7割5分でしたね。

安藤:決勝で東邦高校と戦って0対7で負けたけど、イチローの打席は全部四球。相手投手は勝負しなかったからね。

畑:あと偏食でしたね。野球部は厳しい寮生活ですが、野菜は食べなかった。深谷(篤さん。同学年で主将・現NPB審判員)にあげていました(笑)。親父さんが差し入れたスナック菓子やカップ麺を夜中に隠れて食べていました。

安藤:今は野菜食べていますけどね。

 

水野:オリックスに入団してから、先輩の藤井(康雄)選手(現中日二軍コーチ)が打撃を見て驚いとったよ。バットを見ると全て芯の部分、同じ所がすり減っているんだから。

畑:高卒でそんな選手はいないですよね。

水野:練習試合をいくつか終えた後「プロはどうや」って聞いたけど「たいしたことないです」と。

安藤:「高校時代の調子のいい時と変わらん」とも言っていましたね。

(写真:日刊スポーツ/アフロ)プロ3年目にNPB史上初の210安打で、首位打者、最多安打、最高出塁率、MVPなど数々のタイトルを獲得。

 

水野:最初は土井監督に苦労していたよ。振り子打法のフォームを変えろと言われていた時もあったしね。でも、その後すぐに仰木監督に変わったでしょう。あれが良かったんだわ。

畑:仰木監督が登録名を「イチロー」に変えてプロ野球人生が変わりましたよね。

杉浦:その後は、当時の最多安打記録を作ったり、野手で初めてメジャーへ挑戦。結果を残して、まさに前人未到の活躍でした。

安藤:イチローは有言実行の人。大学時代にプロ野球ニュースでのインタビューを見ていて、夢を聞かれた時「球場全体が自分だけを応援してくれること。でも、相手もチームもいるから無理だね(笑)」と言っていた。当時はとんでもないことを言っているなと思ったけど、東京ドームでの引退試合ではそれが現実になった。

 

水野:あの日は東京ドームのバックネット裏でイチローを見ていたよ。出会った頃を思い出して、すごい人になったなと感慨深かった。私は、イチローと出会って家族と日本全国、アメリカもいろんな球場に応援に行きました。外野席で旗を振ったり、横断幕を作ったり、本当に楽しかったよ。球場でファンから「イチロー」と声援を聞くと我がことのように嬉しくてね。

2019年3月21日マリナーズ対アスレチックスの試合後に東京ドーム内でファンに別れを告げた。 (Photo by Alex Trautwig/MLB via Getty Images)

広報:そして2025年に日米野球殿堂入りとなりました。

杉浦:引退後は、高校生への野球指導で2024年に1回、2025年には2回も名電に来てくれました。心より感謝申し上げます。

広報:皆さん、今日は貴重なお話をありがとうございました。

(文責:広報委員会)

 

 

 

日本人初の米国野球殿堂入り。背番号51はマリナーズの永久欠番に。(Photo by Steph Chambers/Getty Images)

1973年  10月愛知県で生まれる。

1982年  小学3年の時に豊山町スポーツ少年団に入団して本格的に野球開始。

1985年  小学6年で同チームを「エースで4番」として初の全国大会に導く。

1986年  愛知・豊山町立豊山中学の軟式野球部に入部。

1988年  中学3年で全国大会3位に食い込む。

1989年  愛工大名電高校に入学。1年ながら代打や外野手などで出場。

1990年  高校2年で夏の甲子園「3番・左翼」で先発も初戦で優勝した天理高に敗れて敗退。

1991年  春のセンバツに「3番・投手」で出場も初戦敗退。オリックスからドラフト4位で指名。

1992年~2000年  NPB日本9年間 951試合 3,619打数 1,278安打 118本塁打 529打点 199盗塁 打率.353、首位打者7回、最多安打5回、最多打点1回、最多盗塁1回、最高出塁率5回、新人王、MVP3回、ゴールデングラブ7回、ベストナイン7回

2001年~2019年  MLB米国19年間 2,653試合 9,934打数 3,089安打 117本塁打 780打点 509盗塁、打率.311 首位打者2回、最多安打7回、最多盗塁1回、新人王・MVP1回、ゴールドグラブ10回、シルバースラッガー3回

【日米通算】 3,604試合 13,553打数 4,367安打 235本塁打 1,309打点 708盗塁 打率.322